西野嘉高のイタリア紀行 2010年 〜テヌータ・セッテ・ポンティ編〜 [イタリア紀行2010]
2010年1月4日(月)
さて‥たった一日ではありますが、ウンブリア州を極めたような錯覚に陥るのは、やはり、ウンブリア州の様々な街を訪れ、その街を感じれたからかもしれません。もちろん、ペルティカイアのグイドさんとアレッサンドロとの話は、ワインのみならず‥色んなことを話しましたしね。
朝9時に、グイドさんとアレッサンドロが迎えに来てくれました。車で約2時間‥Arezzo(アレッツォ)まで‥この間も、色んな話をしましたよ。どこかで「ここからトスカーナ」な表示も見たような気がしますが、お話は充実‥色んな約束もしました。まぁ深い話はメルマガでね‥。
3日のウンブリアは天気に恵まれましたが、朝から雪混じりの雨‥ちょっと心配だなぁ。
いよいよアレッツォです。
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アレッツォの高速道路の料金所を出たところで、路肩に止まりました。ふと右側を見ると‥不適な笑みを浮かべる男が‥。
でた‥ステファノ‥。
はい、高速道路の路肩で‥ペルティカイアからテヌータ・セッテ・ポンティへの(正月早々‥やっかいなお荷物の‥笑)引き継ぎが行われました。そう、左後ろのフォードに乗ってるのは‥日本での輸入元展示会でも、もう4,5回は来日しているテヌータ・セッテ・ポンティのセールス・マネージャーであるステファノ・マッジーニ氏です。
ここでグイドさん、アレッサンドロともお別れ‥。ちょっと悲しかったわ‥。
さて、ここからテヌータ・セッテ・ポンティを目指しCastiglion Fibocchi(カスティリオン・フィボッチ)へと向います。
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ステファノさんとは古い仲‥。日本に初めてセッテ・ポンティが輸入され始めた頃は、オースティンパワーズのマイク・マイヤーズのような眼鏡をかけた男の子がセールス・マネージャーを担当してましたが、その翌年から、ステファノさんになりました。初めて日本に来た時は、まだ髪の毛あったんですけどね‥長らくスキンヘッドになってまして、輸入元飯田さんの展示会では、ジャン・レノと呼ばれてます(笑)。
展示会では一緒にブースにも立ちますし、日本では晩飯も喰いに行った事もあり、もう馴染みの仲ですね。
そんなステファノさんの車で‥セッテ・ポンティまで向いますが‥想像通り、運転は荒い‥^^;
西野嘉高 「なんでフォードやねん‥」
ステファノ「別にええやん‥」
西野嘉高 「フィアットとかランチャとか期待するやん‥」
ステファノ「フォードも結構走ってるで‥」
西野嘉高 「日本に忠誠心を見せるために、今度は日本車にしとけよ‥」
ステファノ「わかった。」
その荒い運転をするステファノさんの右腕を見ますと‥
西野嘉高 「ほんで‥(オーデマ・ピゲのロイヤル・オーク)オフショア(・クロノ)売ったん?」
ステファノ「うん、買い替えてん‥」
そう‥右腕には、パテック・フィリップのアクアノートが‥。
西野嘉高 「また中古やろ‥」
ステファノ「わかる〜?」
西野嘉高 「わかるわ…」
ステファノさんも、西野嘉高同様‥腕時計は一張羅‥。何本も持ってはいませんで、ステファノさんは、中古を買い替える‥そんな感じですね。まぁ似合ってましたけどね‥俺もアクアノートが欲しい‥。
さて‥道中はずーっと雪混じりの雨‥しかも、そこそこ降ってます。
セッテ・ポンティの畑もいくつか巡ってくれましたが、車を降りる気にならないほどの雨で、写真はあまりございません。何度か説明していますが、クロニョーロもオレーノも基本的に畑は同じです。畑の名前がクロニョーロ‥という区画はありますが‥そこからのセレクションや、樽での熟成具合で振り分けられます。
輸入元さんがセッテ・ポンティを訪れた当時のオーナーであるアントニオ・モレッティ氏のお家は、別れた嫁さんが住んでました。(まぁ色々あるんだろう‥)
また、畑からすぐのところには、馬が数頭‥な厩舎がございまして‥
ステファノ「セッテ・ポンティでポロ・チーム作ってるねん‥」
西野嘉高 「へぇーイタリアでもポロって盛んやのん?」
ステファノ「まさかぁ〜めっちゃ金かかるし‥」
西野嘉高 「モレッティさんならでわ‥やね。」
ステファノ「そういうこと‥。」
最も古い樹齢70年以上のサンジョベーゼの区画を見せたがってましたが、まったく車が入れる状態ではなく‥そういえば、ステファノさんのフォードが、なぜマニュアルなのかも、よくわかりました。AT車だと‥無理ですわ。
続いては、サンジョベーゼやカベルネの畑よりも標高の高い場所にあるメルロの畑を見に車を走らせます。メルロの畑はちょっとだけ離れていまして、途中‥
ステファノ「ほら、ここがフェラガモのお家‥」
西野嘉高 「へーさすがにデカイねぇ‥」
ステファノ「俺、友達やねん‥」
西野嘉高 「ふーん(ほんまかよ‥)」
フェラガモのお家の近くの標識は「ボッロ」と書かれていました。そう、フェラガモ家のワインは「イル・ボッロ」でしたもんね。そんなフェラガモさん家のすぐ近くにメルロの畑がありました。
結構な広さです。
そんなこんなで‥ぐるりとセッテ・ポンティの所有する畑を見学後、醸造設備を拝見に‥。
ファーメンタータンクがズラリ。ここのは、台形になってました。白ワイン用にコールドマセラシオンをするためのタンクの試運転とかもやってましたよ。
続きまして‥熟成庫へ‥。
オレーノも眠っていましたので、新樽の香りがふんわりします。
また雨も振り出しまして‥
ステファノ「さぁテイスティングでもしながら‥昼飯喰うか?」
ということになり、モレッティ氏のお家に向います。
エントランス。
左側が、テイスティングルームや、居間がありまして、この右側にモレッティ氏の私物がゴロゴロしているセラーがございます。
テイスティングルームその1。
テイスティングルームその2。
テイスティングしたワイン達‥
画像では12本ですが、もうひとつ‥泡を飲みました。
本来は、仕事初めが始まっていない時期でしたので、終始ステファノさんと‥と、思ってましたら、モレッティ氏や、モレッティ氏のお姉さんだか妹さんもいらっしゃいまして、モレッティ氏、ステファノさん、西野嘉高の三人で、テイスティングをしながら昼食‥実務的なお話‥(メルマガで後述)となりました。
ちなみに‥モレッティ氏は、たぶんプラダのスーツをバシっと‥お姉さんだか、妹さんもたぶんプラダですね。
どこの生産者さんもそうですが‥お抱えのシェフがいらっしゃるんですよねぇ。モレッティ家もお抱えのシェフがお料理を作ってくれました。
トマトの味が濃いですね。パルミジャーノたっぷりかけて頂きます。
パキーノトマトだそうです。
イタリアで食べるトマトは旨いわ。
モレッティ氏がホール買いしてるという、パルミジャーノ。
18ヶ月熟成とのことですが、アミノ酸の固まりもでてて、とても美味しい。ステファノ曰く‥毎日喰うもんやから‥36ヶ月とか‥熟成の長いのは、味が濃過ぎて、これぐらいが丁度いい‥とのこと。(お土産に1カットくれました)
うわ‥お肉!
なんか、めっちゃ旨かったです。
そこでモレッティ氏の姉さんだか妹さんだかが‥
パネトーネも出してくれました。
うーん、生産者のとこで喰う食事は旨いなぁ。
もちろんワインも旨いわけですが‥やっぱりセッテ・ポンティのIGTワイン達は旨いです‥を確認。
最後にモレッティ氏と記念撮影をば‥。
すでに髭ボーボー。
んで‥帰りに‥
モレッティ「西野くん‥せっかく来てんから‥お土産持って帰り〜な」
と、モレッティ氏の個人セラーに‥。もちろんセッテ・ポンティのワインもありますが、ボルドーやブルゴーニュ、そして、バローロその他、イタリアワインも眠っておりまして、相当なオールドビンテージも所有されております。
在庫はキチンと、在庫表なノートがありまして‥
モレッティ「うーん、コレと、アレと‥そう、コレも‥(と、マグナムを取り出す)」
西野嘉高 「そんなに持って帰られへんわ‥送っといてーな」
モレッティ「そうか‥でも、まぁ一本ぐらい‥あ、そうや‥これとかどーよ?」
と、手渡されたのは‥また、ワイン会で開けましょうね。
それから、旨かったパルミジャーノの固まりと、モレッティ氏の姉さんだか妹さんだか‥が作ったイチジクのジャムを貰いました。(これがまためっさ旨いんです)
なんだか‥セッテ・ポンティのお話は、ペルティカイアと比較するとあっさりしてますが、ちゃんとお話はしてきましたよーっと。
で、降りしきる雨の中‥ステファノさんがアレツツォの駅まで送ってくれます。
イタリアって信号少ないのよね‥
交差点は、ぐるっとロータリーみたいになってて‥
ここで譲り合い‥いや、割り込みを覚えるわけですな‥。
で、アレッツォの近くの交差点で、無理に割り込んできた車が‥
横付けして窓を開けるステファノ‥
ステファノ 「○▲※‥‥‥」
なんか、言うたらあかん言葉を‥。
ちょっとちょっと止めようや‥笑
とかなんとか怒ってた癖に‥最後は‥
ステファノ「ぼんじょるの〜」
とかって、仲直りするんですね。
で、アレッツォ駅に到着‥
フィレンツェまでの電車に約1時間ほどあったので、アレッツォの街でも観光する?と聞いてくれたものの‥雨だしね‥まぁなんとか、カッフェでもしばいて時間潰すわ‥とステファノさんともお別れ‥で、フィレンツェまでの切符はステファノさんがおごってくれました。
ステファノ「俺等、友達やからな‥」
西野嘉高 「お客様と呼べ‥お客様と‥」
ということで、セッテ・ポンティ訪問はここで終了。まぁよく知ってる生産者ですからね。
アレッツォの駅から、市街を見た景色。
こんな感じ。
駅構内から、ホームを見た感じ‥
こんな感じ。
ローカル線に乗ってフィレンツェに向いますよー。
ここまでほとんど金使ってねー!
さて‥たった一日ではありますが、ウンブリア州を極めたような錯覚に陥るのは、やはり、ウンブリア州の様々な街を訪れ、その街を感じれたからかもしれません。もちろん、ペルティカイアのグイドさんとアレッサンドロとの話は、ワインのみならず‥色んなことを話しましたしね。
朝9時に、グイドさんとアレッサンドロが迎えに来てくれました。車で約2時間‥Arezzo(アレッツォ)まで‥この間も、色んな話をしましたよ。どこかで「ここからトスカーナ」な表示も見たような気がしますが、お話は充実‥色んな約束もしました。まぁ深い話はメルマガでね‥。
3日のウンブリアは天気に恵まれましたが、朝から雪混じりの雨‥ちょっと心配だなぁ。
いよいよアレッツォです。
大きな地図で見る
アレッツォの高速道路の料金所を出たところで、路肩に止まりました。ふと右側を見ると‥不適な笑みを浮かべる男が‥。
でた‥ステファノ‥。
はい、高速道路の路肩で‥ペルティカイアからテヌータ・セッテ・ポンティへの(正月早々‥やっかいなお荷物の‥笑)引き継ぎが行われました。そう、左後ろのフォードに乗ってるのは‥日本での輸入元展示会でも、もう4,5回は来日しているテヌータ・セッテ・ポンティのセールス・マネージャーであるステファノ・マッジーニ氏です。
ここでグイドさん、アレッサンドロともお別れ‥。ちょっと悲しかったわ‥。
さて、ここからテヌータ・セッテ・ポンティを目指しCastiglion Fibocchi(カスティリオン・フィボッチ)へと向います。
大きな地図で見る
ステファノさんとは古い仲‥。日本に初めてセッテ・ポンティが輸入され始めた頃は、オースティンパワーズのマイク・マイヤーズのような眼鏡をかけた男の子がセールス・マネージャーを担当してましたが、その翌年から、ステファノさんになりました。初めて日本に来た時は、まだ髪の毛あったんですけどね‥長らくスキンヘッドになってまして、輸入元飯田さんの展示会では、ジャン・レノと呼ばれてます(笑)。
展示会では一緒にブースにも立ちますし、日本では晩飯も喰いに行った事もあり、もう馴染みの仲ですね。
そんなステファノさんの車で‥セッテ・ポンティまで向いますが‥想像通り、運転は荒い‥^^;
西野嘉高 「なんでフォードやねん‥」
ステファノ「別にええやん‥」
西野嘉高 「フィアットとかランチャとか期待するやん‥」
ステファノ「フォードも結構走ってるで‥」
西野嘉高 「日本に忠誠心を見せるために、今度は日本車にしとけよ‥」
ステファノ「わかった。」
その荒い運転をするステファノさんの右腕を見ますと‥
西野嘉高 「ほんで‥(オーデマ・ピゲのロイヤル・オーク)オフショア(・クロノ)売ったん?」
ステファノ「うん、買い替えてん‥」
そう‥右腕には、パテック・フィリップのアクアノートが‥。
西野嘉高 「また中古やろ‥」
ステファノ「わかる〜?」
西野嘉高 「わかるわ…」
ステファノさんも、西野嘉高同様‥腕時計は一張羅‥。何本も持ってはいませんで、ステファノさんは、中古を買い替える‥そんな感じですね。まぁ似合ってましたけどね‥俺もアクアノートが欲しい‥。
さて‥道中はずーっと雪混じりの雨‥しかも、そこそこ降ってます。
セッテ・ポンティの畑もいくつか巡ってくれましたが、車を降りる気にならないほどの雨で、写真はあまりございません。何度か説明していますが、クロニョーロもオレーノも基本的に畑は同じです。畑の名前がクロニョーロ‥という区画はありますが‥そこからのセレクションや、樽での熟成具合で振り分けられます。
輸入元さんがセッテ・ポンティを訪れた当時のオーナーであるアントニオ・モレッティ氏のお家は、別れた嫁さんが住んでました。(まぁ色々あるんだろう‥)
また、畑からすぐのところには、馬が数頭‥な厩舎がございまして‥
ステファノ「セッテ・ポンティでポロ・チーム作ってるねん‥」
西野嘉高 「へぇーイタリアでもポロって盛んやのん?」
ステファノ「まさかぁ〜めっちゃ金かかるし‥」
西野嘉高 「モレッティさんならでわ‥やね。」
ステファノ「そういうこと‥。」
最も古い樹齢70年以上のサンジョベーゼの区画を見せたがってましたが、まったく車が入れる状態ではなく‥そういえば、ステファノさんのフォードが、なぜマニュアルなのかも、よくわかりました。AT車だと‥無理ですわ。
続いては、サンジョベーゼやカベルネの畑よりも標高の高い場所にあるメルロの畑を見に車を走らせます。メルロの畑はちょっとだけ離れていまして、途中‥
ステファノ「ほら、ここがフェラガモのお家‥」
西野嘉高 「へーさすがにデカイねぇ‥」
ステファノ「俺、友達やねん‥」
西野嘉高 「ふーん(ほんまかよ‥)」
フェラガモのお家の近くの標識は「ボッロ」と書かれていました。そう、フェラガモ家のワインは「イル・ボッロ」でしたもんね。そんなフェラガモさん家のすぐ近くにメルロの畑がありました。
結構な広さです。
そんなこんなで‥ぐるりとセッテ・ポンティの所有する畑を見学後、醸造設備を拝見に‥。
ファーメンタータンクがズラリ。ここのは、台形になってました。白ワイン用にコールドマセラシオンをするためのタンクの試運転とかもやってましたよ。
続きまして‥熟成庫へ‥。
オレーノも眠っていましたので、新樽の香りがふんわりします。
また雨も振り出しまして‥
ステファノ「さぁテイスティングでもしながら‥昼飯喰うか?」
ということになり、モレッティ氏のお家に向います。
エントランス。
左側が、テイスティングルームや、居間がありまして、この右側にモレッティ氏の私物がゴロゴロしているセラーがございます。
テイスティングルームその1。
テイスティングルームその2。
テイスティングしたワイン達‥
画像では12本ですが、もうひとつ‥泡を飲みました。
本来は、仕事初めが始まっていない時期でしたので、終始ステファノさんと‥と、思ってましたら、モレッティ氏や、モレッティ氏のお姉さんだか妹さんもいらっしゃいまして、モレッティ氏、ステファノさん、西野嘉高の三人で、テイスティングをしながら昼食‥実務的なお話‥(メルマガで後述)となりました。
ちなみに‥モレッティ氏は、たぶんプラダのスーツをバシっと‥お姉さんだか、妹さんもたぶんプラダですね。
どこの生産者さんもそうですが‥お抱えのシェフがいらっしゃるんですよねぇ。モレッティ家もお抱えのシェフがお料理を作ってくれました。
トマトの味が濃いですね。パルミジャーノたっぷりかけて頂きます。
パキーノトマトだそうです。
イタリアで食べるトマトは旨いわ。
モレッティ氏がホール買いしてるという、パルミジャーノ。
18ヶ月熟成とのことですが、アミノ酸の固まりもでてて、とても美味しい。ステファノ曰く‥毎日喰うもんやから‥36ヶ月とか‥熟成の長いのは、味が濃過ぎて、これぐらいが丁度いい‥とのこと。(お土産に1カットくれました)
うわ‥お肉!
なんか、めっちゃ旨かったです。
そこでモレッティ氏の姉さんだか妹さんだかが‥
パネトーネも出してくれました。
うーん、生産者のとこで喰う食事は旨いなぁ。
もちろんワインも旨いわけですが‥やっぱりセッテ・ポンティのIGTワイン達は旨いです‥を確認。
最後にモレッティ氏と記念撮影をば‥。
すでに髭ボーボー。
んで‥帰りに‥
モレッティ「西野くん‥せっかく来てんから‥お土産持って帰り〜な」
と、モレッティ氏の個人セラーに‥。もちろんセッテ・ポンティのワインもありますが、ボルドーやブルゴーニュ、そして、バローロその他、イタリアワインも眠っておりまして、相当なオールドビンテージも所有されております。
在庫はキチンと、在庫表なノートがありまして‥
モレッティ「うーん、コレと、アレと‥そう、コレも‥(と、マグナムを取り出す)」
西野嘉高 「そんなに持って帰られへんわ‥送っといてーな」
モレッティ「そうか‥でも、まぁ一本ぐらい‥あ、そうや‥これとかどーよ?」
と、手渡されたのは‥また、ワイン会で開けましょうね。
それから、旨かったパルミジャーノの固まりと、モレッティ氏の姉さんだか妹さんだか‥が作ったイチジクのジャムを貰いました。(これがまためっさ旨いんです)
なんだか‥セッテ・ポンティのお話は、ペルティカイアと比較するとあっさりしてますが、ちゃんとお話はしてきましたよーっと。
で、降りしきる雨の中‥ステファノさんがアレツツォの駅まで送ってくれます。
イタリアって信号少ないのよね‥
交差点は、ぐるっとロータリーみたいになってて‥
ここで譲り合い‥いや、割り込みを覚えるわけですな‥。
で、アレッツォの近くの交差点で、無理に割り込んできた車が‥
横付けして窓を開けるステファノ‥
ステファノ 「○▲※‥‥‥」
なんか、言うたらあかん言葉を‥。
ちょっとちょっと止めようや‥笑
とかなんとか怒ってた癖に‥最後は‥
ステファノ「ぼんじょるの〜」
とかって、仲直りするんですね。
で、アレッツォ駅に到着‥
フィレンツェまでの電車に約1時間ほどあったので、アレッツォの街でも観光する?と聞いてくれたものの‥雨だしね‥まぁなんとか、カッフェでもしばいて時間潰すわ‥とステファノさんともお別れ‥で、フィレンツェまでの切符はステファノさんがおごってくれました。
ステファノ「俺等、友達やからな‥」
西野嘉高 「お客様と呼べ‥お客様と‥」
ということで、セッテ・ポンティ訪問はここで終了。まぁよく知ってる生産者ですからね。
アレッツォの駅から、市街を見た景色。
こんな感じ。
駅構内から、ホームを見た感じ‥
こんな感じ。
ローカル線に乗ってフィレンツェに向いますよー。
ここまでほとんど金使ってねー!
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